空家世代のブログ

https://mobile.twitter.com/Alolypoporabul1

灰羽連盟と希死念慮

 f:id:sedai_akiya:20190715163131j:image

 先日、『13の理由』というドラマがネット上で話題になった。ドラマを見た中高生が、作中の自殺描写に影響され自らも自殺してしまうという、その衝撃的なニュースはネット上を駆け巡り『13の理由』を一躍有名にたらしめた。

 

 いつの時代も創作物は人間の精神に対して強い影響力を持つ。創作物は人の精神に働きかけ、あらゆる感情を呼び起こす。それはポジティブな感情のみならず、怒りや憎しみや悲しみなどネガディブな感情も、全てがその範疇にある。

 その呼び起こされる感情の中でも、「生きたい」や「死にたい」など人の生死に直結する物はその最上位に位置するものなのではないだろうか。

 このようなことを書くと、「生きたい」「死にたい」を呼び起こす作品が創作物の中で優れた作品というふうに主張していると捉えられかねないが、そういった事は一切考えていないのでその点はご了解頂きたい。

 ただ、そういったセンシティブな感情を引き出す作品はかなり特殊なものだとは思う。

 

 前置きが長くなってしまったが本題に入ろう。

 『灰羽連盟』というアニメがある。私のとても好きな作品で、恐らく5本の指のうちの1つに間違いなく入るだろう。概要やあらすじの説明はググればすぐに出てくるので各人に任せたい。そして、ここから先は『灰羽連盟』のストーリーに触れるため、未視聴かつネタバレが嫌いな方はこの先を読むのはあまりオススメしないことを書いておく。

 

 私は『灰羽連盟』を観ると、決まって強い希死念慮に駆られる。それはおそらく、現実に対する失望感であったり、グリの街や灰羽達に対する憧れから来るものだろう。

 作中では明言されないものの、灰羽というのは死後の魂であり、グリの街は煉獄のような存在として描かれる。ラッカもレキもクウもネムもヒカリもカナも皆1度死んだ者達だ。現世で幼くして命を落とした者達が天国に行くまでの猶予期間、グリの街はそのような存在なのだろう。

 本編の中盤までは、このグリの街で灰羽達がどのように生活しているかが明るいタッチで描かれる。一見普通の人間と変わらないように見えるが、手帳という独自の通貨のような物でのみ買い物が許されていることや、必ず仕事を持たなければならないことなど、灰羽独自の暮らし方がそこにはある。

 グリの街での灰羽達の暮らしはとても素朴なものだ。娯楽と言える娯楽はなく、労働をし、食事をし、夜は眠る。そんな中でも彼女(彼)達は、日々の生活に喜びを見出し、毎日を楽しく過ごすことに熱心だ。モノに溢れ、時間に追われ、情報の洪水に打たれる我々の生活とは天と地ほどの差がある。

 灰羽達の暮らしぶりを見ていると、私も彼女達のような生活を送りたくなる。こんなどんな未来が待っているかもわからない今の現世で精神を摩耗する日々を過ごすくらいなら、いっその事命を絶ってグリの街に転生したい。

 そこには安らぎがあり、救いがある。

 

 しかし現世で自殺をした灰羽は、罪憑きと呼ばれる羽の黒い灰羽となってしまう。公式ではその真意については一切語られていないものの、一ファンによる罪憑きに関する考察があり私はそれを強く支持する。

  "全くのノーヒントなので、初見でも、二回目でも理解できなかったが、『脚本集』にその意味が書いてあった。

「きゅっ、きゅっ、とリノリウムの床を歩く足音」

「ちん、と鍵を開ける音。ぎぃぃぃぃという重い鉄扉を開ける軋んだ音」

あれは、学校の屋上へと続く非常扉を開ける音だった

それは、ラッカが学校の屋上から身を投げて自殺したことを示唆する"

(風見聡 『【考察】痛みと救い~灰羽連盟~』2015年、https://note.mu/kazami7/n/n6a7b9b5a499e )

 罪憑きは現世で自殺した灰羽。ラッカもレキも現世で何らかの理由により自殺という選択肢を選んだのだろう。

 2人とも罪憑きという存在であることに苦悩し、救いを求めもがき苦しむ。自殺者は死後もその苦しみが続くというわけだ。

 しかし先述したように、グリの街は煉獄のような存在である。煉獄には生前に犯した罪を清め、天国へと送り届ける役割がある。つまり罪憑きにも救済が与えられるのだ。灰羽連盟のお偉いさん的な存在である話師と呼ばれる奇妙な老人は、時に厳しく時に慈しみを持って、灰羽達を導く。いかなる理由であれ、死後の魂である灰羽に対して救いというものはもたらされる。救いと優しさに満ちた世界。それが『灰羽連盟』だ。

 『灰羽連盟』を観ていると、現世の苦しみから逃れて救いと安らぎに満ちた優しい世界に行きたいという気持ちに襲われる。私もラッカ達のように素朴だが十分な幸せがある生活を送りたい、そして傷ついた魂をそこで癒したい、痛みや悲しみは存在するかもしれないがそれ以上の安らぎが与えられる世界に行きたい。そういった欲求は容易く希死念慮へと変化する。

 私はこの感情を否定しない。尊いものでは無いが、沸き立つこの感情を私は大事にしたい。